自然屈服の重要性
1992年に祝福を受けて、1993年に家庭をもってから、
神様の働く基盤とは何か?
神様の基盤を築くにはどうしたらよいか?
を自分の命題として考えてきました。しかし、霊的にも全くわかりませんでした。
ある時様々な出来事を通して、信じられないような喜び、細胞が踊るような神様の喜びを霊的に感じたことがありました。その時はじめて「自然屈服」なんだということがわかりました。
やっと4年目に「自然屈服が神様の基盤と関係する」ということがわかり、「カイン圏が自然屈服することを通して神様の基盤ができる」「愛と犠牲と奉仕でアベルがカイン圏をどれだけ自然屈服したかが、神様が臨むことのできる条件になる」ということが実感としてわかってきました。その時受けた内容を紙にまとめたのですが、しかしまだ、長子権復帰とは関連付けられず、み言で整理もできませんでした。
み言をあまり訓読していなく、また実体が伴っていなかったため、それからもっと否定を受けてしまい、なぜ否定されるのか?どうしてなのか?意味がわからず、2003年にやっと長子権復帰と関連づけることができ、み言を訓読し、み言で整理することができるようになってきました。
自然屈服を決意すると、自動的にハラン(嘆息圏)が展開されるという事も最近わかってきました。
ハラン(嘆息圏)の意味もやっとみ言で整理できるようになってきました。嘆息圏での勝利がないと、内的サタン分立がされず、万物を嘆息圏から解放することができず、アベル圏の編成もされないので、カイン圏の自然屈服ができなくなります。(詳細は別のところで説明します)
まとめると、
①アベルとしてサタン世界(カイン圏)を自然屈服することしか神様の基盤は築けない。=自然屈服しか長子権は移動しない。
②自然屈服を目指して愛と犠牲と奉仕で闘う。
③自然屈服を決意すればするほど、ハラン(嘆息圏)が自動的に展開される。
⑤ハランを勝利することにより、カイン圏が自然屈服する。
④その時、み言の訓読がとても重要である。
⑤聖霊の力(祈祷・精誠条件)、真理の力(訓読)、真の愛の力(愛/犠牲/奉仕)でカイン圏を自然屈服する。
この観点で、実践論をこれから、少しづつ考えていきたいと思っています。
自然屈服に関する 御父母様のみ言を紹介します。
「神は天使と人間とを創造されるとき、彼らに自由を与えられたので、これを復帰するときにも、神は彼らに強制することはできない。それゆえに人間は、あくまでも自分の自由意志による責任分担としてみ言を探しだし、サタンを自然屈伏させてこそ、創造本然の人間に復帰することができるのである。神はこのような原則によって摂理されるので、復帰摂理歴史は、このように長い年月にわたって、延長に延長を重ねてきたのである。」(原理講論/堕落論・第4節人間堕落の結果 P117)
原理の絶対性と人間の自由意志・人間の責任分担を考えた時、今我々の子女の責任分担としてのサタン屈服(自然屈服)を真剣に考えていく必要があると思います。
「復帰摂理の目的は、究極的には人間自身がその責任分担として、サタンを自然屈伏させ、それを主管し得るようになることによって成就されるのである。イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏させるためである。」(原理講論/モーセとイエスを中心とする復帰摂理 P342)
ご存知のように御父母様がサタン屈服の最終路程を開拓されました。「すべての信徒たちをその路程」とはみ言訓読家庭教会のことではないでしょうか?
「怨讐に打ち勝つ秘訣はただ一つの道、真の愛で与え、自ら犠牲の蕩減条件を立てる道しかないのです。怨讐を力によるのでなく、真の愛で自然屈服させることが神様の原理であるからです。」 (世界と国家の真の救済への道)
「『公式路程を通しての天国実現』、それが摂理観であり、公式です。カインがアベルを打つ場において、アベルは打たれながらカインを自然屈服させ、弟の立場から兄にならなければなりません。」(真の御父母様の生涯路程6)
「この怨讐を強制屈服させるのではなく、どのようにして自然屈服させるかということが問題です。・・・・天は打たれて奪ってくる作戦をしてこられるので、これによってけりをつけなければならないのです。方法はそれしかありません。」(祝福家庭と理想天国/第三節・祝福家庭の価値と使命)
実践の中で、どのようにカイン圏を自然屈服させるかを考えて追求していくことが、具体的に重要ではないかと思います。
「神様は怨讐をたたき殺すのではなく、怨讐を愛したという条件と、怨讐であるサタンを、アダムに代わる立場に立つ人として愛したという条件を立てなければなりません。迫害を受けながら涙と血の汗にすべて打ち勝って、耐えに耐えて自然屈服させて、神様の愛を抱いて戻ってきて初めて祝福を受けることができるのです。そこでサタンは放してくれるのです。」(真の神様の祖国光復)
長子権復帰はまず、アダムの位置を復帰することが重要であることがわかります。言い換えると子女の位置(アダム)として怨讐(サタン=天使長)を愛したという条件のことです。このことを通して原理結果主管圏を成長し、本当の子女になっていくのだと思います。
「神様は、堕落したこの地上に何千万回往来されたことでしょうか。ヤコブがハランに行くまで、アブラハムが祭物を捧げるまで、ノアの洪水審判まで、このようにどんどんさかのぼると、アダム家庭のカイン・アベルまで行きます。神様がそこに訪ねてこられ、「アベルよ、天倫の法度が逆になってしまったのでどうかカインを自然屈服させて、元に戻してくれ」と祈られたのです。」(訓教経(上)025)
「こうして、エサウがヤコブを殺そうとしたとき、ヤコブは故郷を離れてハランの地へと避難し、伯父であるラバンの家で二十一年間受難の僕の生活をしながら苦役を経験するようになります。ヤコブは二十一年間、苦難を克服しながらレアを娶り、ラケルを娶り、財物を得て、祝福された一族を編成しました。ヤコブは甚だしい受難を被りながらも、本郷の地を神様のものに復帰してみせるという一つの思いだけは決して変わらずにもっていたのです。むしろ、自分を殺そうとする兄を自然屈服させ得る一日を待ちわびながら、エサウ以上に自分の実力を養い、基盤を築くことにすべての精誠を傾けました。」(南北統一 1-2-2)
「神が怨讐を自動的に屈服させてその圏を拡大してきたその内容もはっきり分かりましたから…」(み旨と世界P896)
ヤコブはハランの地で、苦難の克服(内的サタン分立)、財物(天の財の復帰=万物の嘆息圏から解放)、祝福された一族の編成(サタンの讒訴条件のないアベル圏の編成)をなしたのではないかと思います。そのことで、エソウを自然屈服することができたのです。
長子権復帰とみ言の理解の違い
我々食口は、「怨讐を愛する」「主人意識」「アベルカイン」「子女の責任分担」「自然屈服」「再創造」「信仰基台と実体基台」「蕩減復帰」「み言訓読家庭教会」「サタン屈服」「真の愛の復帰」等の原理用語をよく聞いて読んで使います。
我々は、これらの内容を、バラバラに理解していることが多いのではないでしょうか。観念的ではなく、より実体的、体系的に理解するためのキーワードが長子権復帰です。
長子権復帰(サタンからの主管性の復帰)を追求し、実践していくことにより、これらの内容がつながっていきます。より立体的に理解できるようになってくると思います。
例えば、「信仰基台・実体基台」を勝利することにより、長子権復帰が成されます。ヤコブは家庭的メシアのための基台を勝利したのですが、天使とエソウを屈服することにより家庭的な長子権復帰(サタン屈服)をしました。
例えば、「蕩減復帰」という概念は、長子権復帰(サタン屈服)という観点がないと、罪の清算、神様の赦しという概念のみで捉えてしまいます。それは間違いではないのですが、キリスト教的な捉え方で終わってしまいます。「堕落性を脱ぐ」そして、「再創造・原理結果主管圏を成長する」という内容につながっていきません。(蕩減復帰は再創造である)
キリスト教は霊的救いのみであるので、実体的な長子権復帰(サタン屈服)がよくわからないためです。
「アベルカイン」についても、長子権復帰という概念がわからないと(アベルカインは長子権復帰そのものであるが)、縦的な関係のみが強調されて、実体基台を造成できなくなり、愛の復帰という関係になっていきません。
「カイン圏を自然屈服させる」ことの重要性もわからなくなります。自然屈服でしか長子権が移動しないのですが、長子権復帰がわからないと自然屈服をしなくても良いと思ってしまうからです。
長子権復帰をしていくと神様の基盤ができる(神様が働く基盤ができる)のですが、長子権復帰の道を歩まないと、努力しても徒労で、刹那的な歩みになってしまいます。愛の渦が起こらなくなります。定着できなくなってしまいます。
長子権復帰について、より深く考え、どうしたら長子権復帰ができるかを追求してくことは、意義のあることで、実践していくことは子女の道であると思っています。
上記ことは簡単に説明しましたが、これから詳細にみ言で確認していきながら説明したいと思っています。
「主人意識」という言葉をよく使っていても、我々はその心情圏がなかなか理解できません。それは、長子権復帰は「主人意識」=子女の意識でないとできないからです。
また、長子権復帰(サタンから主管性を復帰する)する歩みを通して主人意識になっていくとも考えることができます。
つまり、子女の位置でしか長子権復帰はできないので、サタン屈服を実際にしないと、「主人意識」が観念的で終わってしまいます。
また「サタン世界=カイン圏=嘆息圏」を霊的に怖がってしまうのは、「主人意識」になっていないからです。ハランに立ち向かうという重要な長子権復帰の要件がよくわからないためです。
長子権復帰を知らないと、これらの事が霊的にわからなくなってしまいます。
「怨讐を愛する、怨讐を怨讐視しない」とよく言いますが、怨讐が迫ってくる時は原理的にどういう意味があるのか、怨讐に対する姿勢とは、怨讐とは誰か、怨讐を愛することにより何が勝利されるのか、その結果どうなるのか、ということは長子権復帰(サタン屈服)、特にヤコブ路程を理解しないとよくわかりません。
「不信仰」という言葉をよく使いますが、精誠、条件的なもの(祈祷・献金・礼拝)のみの判断に使われることが多いです。そのことも大変重要ですが、長子権復帰(サタン屈服)をしないことも、とても不信仰であると捉えることが重要であると思います。
「真の愛の復帰」という言葉をよく使いますが、サタンを屈服(長子権復帰)しなければ、愛は復帰できないので、心情的にも復活しない状況になってしまいます。人間的に愛の復帰を捉えがちです。
「7月7日に本当の子女の責任分担時代に大転換された」といわれています。長子権復帰を理解しなければ子女の責任分担を理解することができません。子女の責任分担とは、我々子女がサタン屈服していくことにより、本当の息子・娘になっていく(家庭を完成する)、天国を創建する摂理であるからです。
人類歴史も長子権復帰という観点で捉える必要がありますし、宗教も長子権復帰という観点で捉えるとよく理解できます。(人間がサタンを屈服してきた度合いにより、人間の協助としての善の宗教(善の天使長圏)ができたので)
我々の、二世が打たれている理由を考えるのも長子権復帰という観点が必要になります。
長子権復帰という観点がないと、この世的(人間的)理由でしか考えられなくなります。
我々が子女の責任分担におけるサタン屈服がなされていないために、サタンから主管されてしまうのです。
イスラエル民族(二世)がカナン七族の風習に負けて主管され、同化してしまったことと同じ現象が起きています。
本来イスラエル民族はカイン圏であるカナン七族から長子権を復帰し、神様の基盤をカナンで定着しなければなりませんでしたが、逆にカナン七族の価値観や外的な内容(金、権威、アダムエバ)に負けてしまい、主管されてしまいました(カイン圏に主管されてしまった)。長子権を復帰できなかった=不信仰のため定着できませんでした。
人間の責任分担を理解するにも長子権復帰という内容は避けて通れません。メシアの責任分担は、アダムとエバができなかった人間の責任分担を完全に蕩減復帰して、本然のアダムとエバの位置に立ち、天国を完成することであるので、御父母様はサタン屈服の道を歩まれました。長子権復帰、父母権復帰、王権復帰をされたのです。
長子権復帰を理解しないと御父母様の歩まれた価値がわからなくなります。
我々は神様と御父母様からの恩寵のみで救われると錯覚してしまいます。
つまり、神様の恩寵だけではなく、我々が実体で子女としてサタン屈服をしていくことにより、実子圏に入っていくということを忘れてしまいます。
ですから、子女の責任分担である「家庭教会」の重要性がわからなくなってしまいます。
本来家庭教会でしか、我々子女は家庭的レベルでの長子権復帰、氏族的レベルでの長子権復帰ができないように摂理的にもなっているからです。
このように、長子権復帰の原理をしっかり知っておくことが必要であると思います。
私もまだよくわからない事が多くありますが、このブログを通して考え、また皆さんから教えて頂きたいと考えております。
よろしくお願い致します。
長子権復帰と勝利することの重要性
このカテゴリでは、長子権復帰について考えていきたいと思います。
なぜかというと「氏族メシア」は、まず長子権復帰を考え、勝利することが重要であるからです。
「氏族メシアであるならば、一番目に何をしなければなりませんか?長子権復帰です。長子権を復帰せずしてはメシアは出ることができません。国家基準なのです。」(宗族的メシアP32)
「氏族メシアであるならば、カインアベルを考えなければなりません。長子権復帰。その次になんですか父母権復帰なのです。」(宗族的メシアP31)
「最初は長子権復帰であり、二番目は父母権復帰です。これが一つになって初めて王権を復帰するのです。」(真の家庭と家庭盟誓P198)
「復帰歴史の総合的な結論として、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰、皇族圏復帰です。長子権復帰の目的は父母権復帰です。父母権復帰の目的は、王権復帰であり、王権復帰の目的は、皇族権復帰です。これが四大心情圏です。おじいさん、父、自分たち夫婦が三大王権を象徴します。」(真の家庭と家庭盟誓P198)
み言から考えると、我々の子女の責任分担として、氏族メシアの勝利・四代心情圏を確立するためには、まず長子権復帰を考え、勝利する必要があるのではないでしょうか?
このカテゴリでは、
①長子権とは何か
②長子権復帰とは何か
③なぜ自然屈服が重要なのか
④ヤコブ路程における長子権復帰
⑤長子権復帰をするための要件
⑥ハラン21年苦役の勝利の内容と重要性
⑦子女の責任分担(家庭教会)としての長子権復帰
などを考えていきたいと思っています。
特に何故「ヤコブが天使との組み討ちに勝利したのか」「なぜエソウを自然屈服することができたのか」の秘密は、「③なぜ自然屈服が重要なのか」「⑥ハラン(嘆息圏)の勝利の内容と重要性」にあると考えています。
ただ、神学的論争はするつもりはありません。というのも、私にはそのような動機もありませんし能力もありません。
「天国を建設するため」、「全ての人が神様の子女になっていくため」にはどうしたらよいかという観点で考えていきたいと思っています。さまざまな建設的なご意見をお待ちしております。よろしくお願いします。
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