嘆息圏(ハラン)で勝利すべき3つの内容

 

 

「神様を絶対的に信じ愛する」「責任分担を果たす」ことにより以下の3つの内容を勝利する
①自己中心性からの解放=内的サタン分立
②万物を嘆息圏から解放する=天の財の復帰
アベル圏の編成(讒訴条件のない天の基盤の編成)

 

そして、この勝利のためには、聖霊の働き(母子協助等の女性の信仰、精誠条件による聖霊の役事)が必要であると考えられます。
*実際の女性の信仰ではなくても、聖霊が働くことのできる精誠条件が必要です。

 

自己中心性からの解放=内的サタン分立、ハランの嘆息圏でも嘆息・絶望しない。怨讐を愛する=迫害するもの(ラバン=怨讐)を裁かず、愛する。悲しみを喜びに消化することにより胸中に天国を入れる。

 

「神様は、ヤコブを祝福しました。祝福を受けたヤコブは、ハランへ行き、二十一年間受難の道を行きました。彼は、ラバンに十回も騙されながらも迫害の道を行ったのです。彼は悲しい立場にいました。環境を中心として見たとき、嘆息と絶望に突き当たる立場に立っていました。しかし、絶望を訴えるヤコブになっていたとしたなら、自分自身を中心として嘆息するヤコブになっていたなら、彼はイスラエルを代行する民族的権限をもつことはできなかったでしょう。」(牧介者の道 ヤコブ)

 

「天国はどこにあるのでしょうか。『天国は私の心にある』と言いました。私の胸中に天国が入ってくるのは、容易なことではありません。天国は必ず、生活の逆境とサタン世界を倒して初めて私の心の中に入ってくるのです。それで、サタン世界を倒すために蕩減の役事が行われるのです。」(訓教経下 手本になろう)

 

蕩減の役事とは、ハランのことであり、責任分担を理解し、自然屈服を決意すれば、ハラン世界が自動的に展開される。
・万物を嘆息圏から解放する    =天の財を勝ち得る=万物復帰
・人間が堕落することにより、万物の嘆息圏が生まれ、人間の嘆息圏が生まれた。
・創造の過程と同じように、再創造において、まず、万物を嘆息圏から解放する必要がある。

 

「創造された被造世界においては、人間を中心として、すべての被造世界の環境的要件が成されます。言葉を換えていえば、人間が堕落することによって、万物が嘆息圏に存在するようになり、また、堕落した後孫たちを中心として、人間たちが嘆息圏に存在するようになったのです。そのため、万物が先に解放されなければなりません。神様は、創造する時、万物を先に造りました。その次に人間を造ったので、再創造の過程でもそうでなければなりません。復帰路程の蕩減路程、すなわち再創造路程を行かなければならないのです。復帰路程は再創造原理によって行かなければならないというのです。万物嘆息圏を解放しなければなりません。万物圏、その基盤の上に神様は人を造ったのです。そうではありませんか? 万物を通して人間を造りました。その時には堕落はなかったはずです。嘆息圏はないというのです。」(一七二―四九) (牧介者の道/第四節 蕩減復帰と公式路程)

 

万物を得ても、アベル圏の編成がされていかず、アベル圏が分裂していくならば、嘆息圏から解放された万物ではなく、サタンの讒訴条件が残っていることを示している。本来の万物復帰ではない。

 

アベル圏の編成(讒訴条件のない天の基盤の編成)=天の家庭の編成・天の氏族の編成
長子権を復帰するカイン圏の基盤と同等の神様の基盤を編成する。
「怨讐を愛する(内的勝利)」、「万物の嘆息圏からの解放」を勝利していくことによりアベル圏が編成されていく。我々の伝道が個人伝道なのは、アベル圏が編成されていないため。

 

ヤコブはハランの地で、受難の中、天の家庭を編成することができた。

 

ヤコブはサタン世界であるハランに行って、21年間苦労しながら、家庭と財物を中心に、長子の嗣業を復帰する争いで勝利してカナンの地に帰ってきたのです。」(原理講論P332)

 

ヤコブがハランで21年間の苦役を終えて、天の側の妻子と財物を得てカナンの地に帰って来たとき」(原理講論P333)

 

ヤコブは二十一年間、苦難を克服しながらレアを娶り、ラケルを娶り、財物を得て、祝福された一族を編成しました。ヤコブは甚だしい受難を被りながらも、本郷の地を神様のものに復帰してみせるという一つの思いだけは決して変わらずにもっていたのです。むしろ、自分を殺そうとする兄を自然屈服させ得る一日を待ちわびながら、エサウ以上に自分の実力を養い、基盤を築くことにすべての精誠を傾けました。」(神様の摂理からみた南北統一/エサウヤコブを中心とした摂理)

 

モーセも40年荒野路程で、長子権復帰のための民族の基盤をつくった。(アベル圏の編成)

 

「そしてモーセ自身、神側の立場に立って、ちょうど、かつてヤコブが、神の前に選ばれて恵みを受けてハランに行って闘って、そしてその家庭を導いていける基盤を整えたのと同じように、モーセも、ミデアン荒野四十年の期間を通過して、初めて、自分の民族を導いていける基盤をもつことができたのである。」(み旨と世界/歴史の転換点)

 

子女の責任分担は神様も御父母様も関与できない。ハランの地で、自ら基盤をつくる。

 

ヤコブは、神様から祝福を受けてから神様の代を継がなければなりませんでした。しかし、それだけは神様が強制的にしてあげられるものではなく、ヤコブ自らが基盤を築かなければならなかったのです。」(神様の摂理からみた南北統一/エサウヤコブを中心とした摂理)

 

ということは、我々も、ハランの地で闘って、天の家庭を編成、天の氏族を編成しなければならない。言い換えれば、家庭を持っていても讒訴条件のある家庭では、天の家庭とはいえないということになる。天の家庭でないと、家庭的な長子権復帰はできない。家庭で、サタン世界(ハラン)に出て行って戦って、讒訴条件のない天の家庭・天の氏族を編成しなくてはならない。

長子権復帰の原理とハランでの勝利の関係

 

 

長子権復帰をするためには、アダムの位置の復帰、アベルの位置の復帰をしなくてはなりません。

 

ヤコブ路程を見た時、
アダムの位置の復帰=天使との組討ちの勝利=縦的な蕩減復帰(内的)
アベルの位置の復帰=エソウの自然屈服=横的な蕩減復帰(外的)
となります。

 

言い換えれば、先にアダムの位置を復帰しなければ、アベルの位置は復帰できないことになります。サタンは、アダムが堕落したので、縦的な関係を奪い、カインがアベルを殺したので次に横的な関係を奪いました。

 

絶対信仰(神を愛する)、責任分担を成すこと必要であり、ハランでの勝利が不可欠。それの2つを復帰するためには、どんな状況(嘆息圏)におかれていても神様を愛する=絶対信仰

ヤコブのようにどんな状況(嘆息圏)でもカナン復帰を忘れない。=責任分担を忘れない。

カインを自然屈服することができる讒訴条件のない神様の基盤を築いていくには、嘆息圏を勝利して自ら自分で基盤をつくる(責任分担)ことが必要になります。

 

ですから、嘆息圏は必ず必要であることが考えられます。嘆息圏(ハラン)を勝利しないと長子権復帰はでないことになります。

 

責任分担がなぜ必要かというと、エデンの園で、天使長を真の愛で主管する(本来の人間の責任分担)ことができなかったので、長子権復帰も同じ原理に基づき、神の恩寵(95%)だけでは、カイン圏(天使長)を屈服することができず、自らの力(5%)で自然屈服させなければならないからです。

 

同じように、なぜ自然屈服かというと、エデンの園では、天使長を真の愛で主管する原理なので、同じ原理が適用され、強制的な屈服では長子権が移動しない(天使長から主管性を復帰できない)からです。(原理の絶対性)

 

我々の信仰生活の中で、にっちもさっちもいかなくなるような、まるで腿のつがいをはずされて、身動きが取れないような状況。ただただ耐えるしかない状況がよくあります。ある一定期間耐え忍ぶと(①どんな状況でも神様を愛し、信ずる。②責任分担を必ずなしとげる努力しつづける)、信じられないような全く違った状況が展開され、相手が自然屈服したり、新しいものを得ることがあります。

 

結論として、ハラン(嘆息圏)で勝利しなければ、アダムの位置の復帰、アベルの位置の復帰もできないことになります。   

長子権復帰にはハランの勝利が必要不可欠

 

 

ハランとはサタン世界であり、嘆息圏のことを言います。

 

ハランを勝利することはとりわけ重要であると思ったので、別の書庫にしました。嘆息圏=ハランは、み言を理解するにあたり、とても重要なキーワードです。ハランの勝利の中に、サタン屈服(長子権復帰)の重要な秘密が隠されています。子女の道を歩めるかどうかは、ハランでの勝利にかかっています。ハランとは、ヤコブ路程のハラン21年苦役路程のことです。

 

長子権復帰には、ハラン=嘆息圏での勝利が不可欠です。

 

以前、責任を持っているいろいろな方と、伝道のことやみ言訓読家庭教会について話したことがありました。

 

その時何故かしっくりいかず、話し合った内容に違和感を感じました。何に違和感を感じたのかもわかりませんでした。その違和感の正体は何か、調べたいと思いみ言を読み、考えました。

 

わかったことは、我々の行っている伝道が、個人伝道であり、その発想のままでいることに気が付きました。つまり、「長子権復帰をするためのアベル圏の編成が成されていないのではないか?」と思うのです。

 

原理講論をみれば、ヤコブは家庭、モーセは民族のメシアの為の基台を作ったのですが、家庭には家庭、民族には民族、世界には世界というように長子権復帰をするためのカイン圏と同等の天の側の基盤=讒訴条件のないアベル圏の編成が必要です。

 

我々は氏族メシアとして勝利するならば、長子権復帰をするために天の家庭、天の氏族を編成しなければならないのでは?と

 

ただ、氏族圏に出て行って伝道するというだけでは、個人伝道では、氏族メシアの勝利はありえないのです。

 

では、どうしたらアベル圏が編成できるのかを考えてみた時に、ハラン(嘆息圏)につきあたりました。

 

ヤコブはハランで、アベル圏(天の家庭)を編成したことがわかりました。モーセも、ハランに相当する荒野路程40年で、天の民族を編成しました。実践の経験から考えても、嘆息圏は重要であるとわかりました。

 

ヤコブ路程をみ言で確認すると、長子権復帰にはハランでの勝利が不可欠であることがわかります。

 

 

ヤコブはサタン世界であるハランに行って、21年間苦労しながら、家庭と財物を中心に、長子の嗣業を復帰する争いで勝利してカナンの地に帰ってきたのです。」(原理講論P332)

 

ヤコブがハランで21年間の苦役を終えて、天の側の妻子と財物を得てカナンの地に帰って来たとき」(原理講論P333)

 

「天の側の妻子=アベル圏の編成」
「天の側の財物=嘆息圏から解放された万物」

 

ヤコブは故郷を離れてハランの地へと避難し、伯父であるラバンの家で二十一年間受難の僕の生活をしながら苦役を経験するようになります。ヤコブは二十一年間、苦難を克服しながらレアを娶り、ラケルを娶り、財物を得て、祝福された一族を編成しました。ヤコブは甚だしい受難を被りながらも、本郷の地を神様のものに復帰してみせるという一つの思いだけは決して変わらずにもっていたのです。むしろ、自分を殺そうとする兄を自然屈服させ得る一日を待ちわびながら、エサウ以上に自分の実力を養い、基盤を築くことにすべての精誠を傾けました。」(神様の摂理からみた南北統一/エサウヤコブを中心とした摂理)

 

「祝福された一族=アベル圏の編成」
「財物=嘆息圏から解放された万物」
「エソウ以上に自分の実力を養い基盤を築く=エソウと同等の讒訴条件のない天の基盤を築く」

 

「嘆息していた天が勝利できる基盤は、嘆息する群れが絶望しない時に立てられた歴史であったということを、皆さんは知らなければなりません。 ヤコブがそのような絶望の嘆息圏に追われていましたが、嘆息することなく、絶望することもなく、堂々と未来の祝福を信じて進む立場に立ったのです。その結果、第一イスラエル圏が成立したことを知らなければなりません。神様もこれと同じです。神様がどんなに嘆息圏内に染まっていても、その嘆息によって希望を失いはしませんでした。その嘆息によって、創造理想を失いはしませんでした。嘆息が強ければ強いほど、加重されれば加重されるほど、心情と理想を中心として、創造理想を成就させることを誓う内的な決意をしてこられました。ですから、天が行く道は、嘆息圏の渦巻きの中に巻き込まれて回りますが、そこに融合されるのではなく、嘆息圏を踏み、立ち上がり、勝利の日を開拓していくのです。」(牧会者の道/3ヤコブ)

 

嘆息圏で嘆息しないことにより、内的なサタン分立が行われていくため、より内的な決意ができることがわかります。 

 

「二十一年にわたった困難の基盤の上で、初めて神様は彼を祝福することができました。」(牧会者の道/3ヤコブ)

 

「皆さんがよく知っているとおり、ヤコブは祝福を受け、二十一年間、僕の生活をしながら冷遇されました。ラバンの氏族圏内に入っていって氏族の迫害を受けながら二十一年間耐え忍び、氏族の祝福を受けて戻ってくる時、エサウがそこに一つになることによってイスラエル氏族圏が形成されたのです。そうでなかったならば、エサウ氏族圏の前にアベルとしてヤコブが現れることができないというのです。対等な天の氏族圏をもってサタン側の氏族圏の前に出ていって、どちらがもっと耐え忍び、勝ち、どちらがもっとために生き、愛するのかという観点を前にして、サタンと神様の所有権交換が起こったという事実を知らなければなりません。」(宗族的メシアP108)

 

ハラン(嘆息圏)での勝利がなければ、エソウを自然屈服できない(長子権復帰ができない)ことがわかります。 

 

ヤコブは、ハランで神に犠牲として捧げるための何物も持ちませんでした。彼の持ち物は結局、ラバンのものであり、彼自身のものではありませんでした。ヤコブは、エサウから逃げはしましたが、エサウよりももっと外的なエサウであるラバンが現れました。ラバンはいつも、蕩減路程の中で、ヤコブに対する障害物として行動しました。ヤコブはこのような立場を通過しなければならなかったのですが、彼の路程は信仰者が従わなければならない模範路程でした。

 21年間の苦労の路程によって、彼は失われた惨めな2000年を蕩減復帰し、彼自身が堕落前のアダムの基準にまで上がりました。

 ヤボク川での天使との戦いにおいて、ヤコブは霊的肉的両方で苦悩しました。もしヤコブがラバンから骨を折らされる訓練をハランで受けていなかったなら、ヤボク川で天使に勝つことができなかったでしょう。ヤコブは、彼がハランで味わった苦汁の21年間に積もった恨は、天使に打ち勝つことによってのみ解かれることを知っていました。その思いが彼を強くし、天使の前で負けなかったのです。そして、遂に天使に打ち勝ったのです。天使を服従した後にのみ、ヤコブは彼の祝福を彼の両親に分け与えることができました。今やヤコブは、象徴的に神の立場にいる両親に言う立場にありました。『ここにあなたのカイン(エサウ)とアベルヤコブ)は完全に復帰されました。私は、最初にカインとアベルによって失われた全てのものを復帰しました。ここに失われたアダムの家庭をあなたの前に復帰します』と。そうすると、神の恨が、ハランでのヤコブの長い闘争の中で得られた戦勝品によって解かれるのです。彼と彼の妻は、復帰されたアダムとエバの立場で神に捧げられることができました。」ヤコブ路程と私たちの信仰生活の抜粋)

 

ハランでの勝利がなければ、天使との組み打ちに勝利(アダムの位置の復帰)、エソウを自然屈服(アベルの位置の復帰)ができないことがわかります。(長子権復帰)

善悪の価値観を乗り越え怨讐を愛する

 

 

人間的善悪の価値観でカイン圏を裁いてしまっては、長子権復帰ができないと思います。わたしたちはカイン圏から試練があったとき、ついカイン圏のせいにしたり、逃げたり、自己正当化をしたりします。

 

カイン圏に対し、「逃げない、諦めない、裁かない」を実践するのは本当に大変なことです。簡単なことではありませんが、怨讐を怨讐視しないで、愛することにより、内的サタン分立が行われると思われます。

 

それが、実体基台を造成(長子権復帰)できるかどうか、子女の道を歩めるかどうかの重要な分岐点になるような気がします。

 

ヤコブはラバンおじさんに対して、「お前は間違っている」と言って裁いてしまっていたら長子権復帰(サタン屈服)はできませんでした。

 

キリスト教は霊的救いのみであるので、信仰と努力で心で怨讐を許しても、実体で怨讐を愛するのは困難でした。怨讐を愛そうとしても、サタン世界(カイン圏)に殺されてしまいました。ですから、霊的、個人的救いの範疇で終わってしまっていたのだと思います。


キリスト教が他の宗教と争ったり、同じキリスト教でありながら、分派との戦いで血を流したりするのは、怨讐を愛する道が切り開かれていなかったからです

 

現在アメリカに代表するキリスト教国家をみても、善悪の価値観で戦争を起こしています。

 

御父母様が、人類史上初めて、怨讐を実体で愛して勝利することができる道を開拓されたことは、本当に偉大なことです。我々が今後、長子権復帰の道を歩むことにより、御父母様の偉大さを実際に知ることができると思います。

 

み言を訓読し、神様と御父母様と霊的に一体となり、実体で努力すれば、すべての人が、怨讐を愛すること(本当の子女になること)ができるということは、人類として最高の恵みですね。

 

 

ヤコブはラバンに対して奴隷か、僕の立場ではなかったですか。ラバンは、深夜であってもヤコブを起こして、使い走りに行かせたのです。ラバンが「ここに来い」と言えば、ヤコブは来なければならず、『あそこに行け』と言えば、行かなければなりませんでした。ラバンは21年間、彼を名前で呼び、蹴り飛ばし、彼に対してあらゆることをしました。・・・・ヤコブはラバンのやりたいことすべてに従わなければなりませんでした。・・・ラバンはヤコブによいことを言っては約束しましたが、彼は10回もその約束を破りました。・・・・もしその時にヤコブがラバンを攻撃していたなら、ヤコブは最後まで蕩減を払うことができなかったでしょう。ヤコブはどんな苦難があったとしてもラバンに屈服しなければならず、最後まで我慢しなければなりませんでした。もしヤコブが怒ってラバンに対して何かをしていたら、彼の全使命は無に帰してしまったでしょう。ラバンがヤコブを打てば打つほど、ラバンの運勢は落ちてきて、ヤコブはありあまるほど祝福されるのです。」

 

ヤコブは強烈に、神が自分と共にあることを信じました。だから、ラバンは決して自分に勝つことができない、と信じたのです。それが彼が忍耐した秘訣でした。それが、彼が苦労の21年間を成功裏に終えることができた主流思想でした。それはヤコブの自信の程度を表します。『どんなにあなたが私に反対したとしても、あなたは降伏するようになっています。そして、私が勝利者となるでしょう』と。」ヤコブ路程と私たちの信仰生活)

 

「皆さんがよく知っているとおり、ヤコブは祝福を受け、二十一年間、僕の生活をしながら冷遇されまし。ラバンの氏族圏内に入っていって氏族の迫害を受けながら二十一年間耐え忍び、氏族の祝福を受けて戻ってくる時、エサウがそこに一つになることによってイスラエル氏族圏が形成されたのです。そうでなかったならば、エサウ氏族圏の前にアベルとしてヤコブが現れることができないというのです。対等な天の氏族圏をもってサタン側の氏族圏の前に出ていって、どちらがもっと耐え忍び、勝ち、どちらがもっとために生き、愛するのかという観点を前にして、サタンと神様の所有権交換が起こったという事実を知らなければなりません。」(宗族的メシアP108)

 

「カインを自分の息子よりも愛しなさいというのです。神様はそのことを願って、カインを悔しい立場に立てました。神様はそのような心情で、先に愛すべき立場にカインを立てたというのです。ですから皆さんは、今まで皆さんのことを反対してきた怨讐を、自分の息子・娘以上に愛することができるかが問題です。このことが、皆さんが神様の前に新しく入籍できるか、できないかを決定するのです。」(祝福と入籍)

 

「長子権復帰をするためには必ず、サタンが迫害し生命を奪おうとする一線に出て闘って、愛で屈服させて、私たちのもっているすべてを教えてやらなければなりません。そうして彼らが私たちの伝統が良いということを知って、自然に心に感動を覚え、涙で悔い改めて、生命を捧げてあなたのために祭物となりますと宣誓しなければ、カイン世界の祝福権を取り戻してくる道はないという事実をはっきりと知らなければなりません。」(罪と蕩減復帰/長子権復帰)

 

「『神様と一緒に私(サタン)を愛する立場に立ち、愛したという条件を立てなければ、私が占めている長子の権利と嗣業を取り戻すことはできない』とブレーキをかけるのです。ですからイエス様が怨讐を愛せよと言ったのです。」(罪と蕩減復帰/長子権復帰)

 

「愛をもたずにサタンを屈服させることはできません。それゆえ、天国に行くことのできる家庭となるためには、神様も堕落した天使長を愛したという立場に立たなければならず、神様の息子、娘の家庭も、サタンを愛したという条件を立てなければなりません。そして皆さんが出ていって闘い、サタン世界を愛で屈服させたという条件の上に立たなければならないのです。『私は怨讐をみなたたきのめしたのではなく、怨讐を愛で屈服させて長子権を回復した』と言わなければならないのです。」(罪と蕩減復帰/長子権復帰)

 

「先生は一生の間、怨讐を愛することをしました。個人段階からそのことをし、家庭段階でそのことをし、氏族、民族、国家、世界段階、その次に天宙段階までそのことをしました。ダンベリーになぜ入ったのでしょうか。霊界と肉界が塀でふさがっています。堕落した父母によってもつれてしまったものを解くためには、霊界と地獄に道を築いておかなければならなかったのです。」(地上生活と霊界/P392)

天国創建(家庭盟誓の実現)を第一の動機とする

 

 

天国創建(家庭盟誓の実現)を第一の動機とする=カナン復帰を絶対に忘れない

 

このことも、長子権復帰の重要な要件ではないかと思います。
天国創建の動機を持ち続けているか否かで、展開も、試練の重みも全く違ってくると感じています。
今は、我々が具体的に天国を建設する(我々が復帰の道を歩む)時代、つまり子女の責任分担時代であるので、私たちが天国を建設しているという実感がないと、本心は知っているので苦しくなってしまいますし、重要な目的を達成していないので、外的にも閉塞していきます。

 

我々が本当の子女となっていく(原理結果主管圏を成長し、愛を復帰していく)ことと、子女の責任分担として天国を具体的に建設することは2重目的になっているので、どちらか一方のみが達成できるということはありえないのではないかと思います。
その2重目的を達成できる摂理的場所が「家庭教会」「氏族メシア」、そして今は第3次摂理である「み言訓読家庭教会」ではないかと考えます。

 

私も今までよく失敗しましたが、天国創建の動機を忘れて、伝道、経済の実績だけを最終目的としていると導かれず、結果的に勝利できなくなってしまったり、結果は勝利できても、後から問題がおきたり、定着できなかったり,心情が復活していなかったりすることがあります。それは、長子権復帰(サタン屈服)の方向に向かっていないためだと考えられます。
一人ひとりが自分の動機を確認することが重要であると思います。

 

中には、私が兄弟にそういうことを言うと、平面的に捉え、組織や組織上のアベルを批判したりする人もいますが、そういう発想自体が子女の道を行こうとしていないから起こってくる思います。
長子権復帰のことを真剣に求めていくと、そういう発想や思いはなくなってきます。

 

自分が祝福家庭として「どうあるべきか」を考えることが重要で、人それぞれ心情圏が違うので、他人と比較することなく、長子権復帰(サタン屈服)の方向にどのように自分が向かうのかを、自分で考えていくことが大切だ思います。

 

結論として、天国創建の動機を強烈に持てば持つほど、長子権復帰の方向に行くので、全く展開、試練の質が違ってきます。
また、嘆息圏を乗り越えるには、天国創建動機(カナン復帰の決意=サタン屈服)がとても大切だと、み言から考えられます。

 

 

続きを読む

カイン圏の前に外的に無能な立場にいることを明確に認識する

 

 

カイン圏に対し、「自分が無能な立場にいるということを明確に理解する」ことは、長子権復帰にはとても重要であると思います。

 

「自分が有能であると思った瞬間からサタンが入る」と感じてきました。
エス様は「自分をむなしゅうしなさい」と言われました。
御父母様は「真の父母の心情、僕の体」とおっしゃいました。

 

私が家庭を持った頃、ある先輩が、事業を起こしました。とても実力がある方で、兄弟のことを真剣に考える尊敬する先輩でした。しかし、始めてみるとうまくいかないことが多く、信じられないような事件が次々とおこり、すべてが閉ざして行きました。私は、「なぜだろう?」と真剣に悩みました。最初は理由が全くわかりませんでしたが、後にあることに気が付きました。

 

その方は内部で培った人脈を利用し出発したのです。マイナスから出発しませんでした。つまり無能な立場から出発しませんでした。また、「自分がカイン圏に対し有能である」という意識があったように思います。何か問題が起こると、あまりにも大変なことが多かったので、結局カイン圏(サタン世界)のせいにするしかありませんでした。

 

 私たちは、どんなに精一杯やっても、うまくいかなくなり、否定され、サタン世界(カイン圏)から「お前は無能だ、お前は無能だ」と霊的に囁かれているような出来事がよく起こります。

 

その時がとても大切ではないかと思います。

 

「自分は有能である」という傲慢な思いはなかなか自分では分別できません。そのような出来事がおこった時、どんなに自分が正しくとも絶対にカイン圏を裁かず、じっと自分のこととして反省し、耐え、消化する必要がある思います。自分を否定するということです。それはとても大変なことですが、そのことを理解するまで、落ちるところまで落とされてしまいます。

 

このことを理解するには、ヤコブがラバンに対し、どのような姿勢だったかを研究する必要があると思います。ヤコブは苦難の中、ラバンに対し「お前は間違っている」と敵対してしまったら、エソウを自然屈服(長子権復帰)することはできなかったと思います。

 

 

「神の闘士は共通のある性質をもっています。彼らは一様に、自己と環境を否定することから使命を出発しているのです。イサクの息子ヤコブも例外ではありません。 」(み旨と世界P284)

 

「『自分の祝福のことなど考えないで、ひたすら神の目的のために献身させていただきたいのです』と先生もそうしたごとく、あなた方もこのように、僕の僕の立場、完全に自己を否定した立場から出発すべきです。 」(み旨と世界P600)

 

「そのくらい真剣に歩むことによって日々自らを再発見しながら、一日一日を新しき日として、先生の基準を目指して日々発展していくというような私たちの日常生活であるべきです。外に吹きすさぶ嵐を乗り越える最善の秘訣も、自分自身を乞食をもうらやむような最低の位置におくことです。良い食事や十分な睡眠、快適な生活等はかえって重荷になるだけです。自分を僕をもうらやむような僕の僕の位置においてみて初めて己を知ることができ、知れば飛躍することができます。」(み旨と世界P606)

 

 

 

teson(ブログ管理者)の一言

自分の弱さ、未熟さ、無能さを受け入れる。これは本当に大切な事だと思います…
弱さを認める事は、自分らしさ、自然体になれるという事。そうすることで「神様が与えて下さった本来の自分」を発見することが出来ると感じました。自分の中に神様がおられるという事を絶対的に確信した時、己を知ることができ、知れば飛躍することができます。」というみ言に繋がると思います。
否定に弱く、見栄っ張りな私には、とても心に刺さる内容でした。


 

たった一人(家庭)でサタン世界に出る

 

 

たった一人で(一家庭で)サタン世界に出て行くということは、長子権復帰のための重要な要件の一つではないかと思います。

 

神様はたった一人で闘って来られました。イエス様もそうです。御父母様もそうして神様の基盤を築いてこられ、サタンを完全に屈服されました。

 

私たちも、誰の力も借りず、氏族メシアとしてサタン世界(嘆息圏)に出て行って、復帰していくのが公式路程ではないかと思います。

 

最近見た映画、「マザーテレサ」でも、マザーテレサが、神様の声を聞き、自分の責任分担を知って、たった一人で、凶悪な戦争の真っ只中に出て行かれたことが描かれていました。感動しました。何か我々食口に教えているような、啓示的な感じがしました。

 

ヤコブはたった一人でハランに行き、天の家庭を編成し、天の財物を得ました。サタン世界を愛した分、家庭が編成され、アベル圏が編成されていくのが原則ではないかと思います。

 

現在は荒野路程ではないので、最初から一致団結して闘うのではなく、一人ひとり(一家庭)が、サタン世界(嘆息圏)に出て行き、サタン世界を愛した分、家庭が一つになり、自動的に家庭同士が協力し合い、カイン圏の人々が復帰され、アベル圏が編成されるのだと思います。

 

長子権復帰には、カイン圏と同等の讒訴条件の無い神様の基盤(アベル圏の編成)が必要であるためです。讒訴条件の無い基盤をつくるには、サタン世界(ハラン=嘆息圏)の勝利が不可欠であるからです。

 

み言訓読家庭教会による長子権復帰はそのような方法でないとできないように思います。