長子権復帰にはハランの勝利が必要不可欠

 

 

ハランとはサタン世界であり、嘆息圏のことを言います。

 

ハランを勝利することはとりわけ重要であると思ったので、別の書庫にしました。嘆息圏=ハランは、み言を理解するにあたり、とても重要なキーワードです。ハランの勝利の中に、サタン屈服(長子権復帰)の重要な秘密が隠されています。子女の道を歩めるかどうかは、ハランでの勝利にかかっています。ハランとは、ヤコブ路程のハラン21年苦役路程のことです。

 

長子権復帰には、ハラン=嘆息圏での勝利が不可欠です。

 

以前、責任を持っているいろいろな方と、伝道のことやみ言訓読家庭教会について話したことがありました。

 

その時何故かしっくりいかず、話し合った内容に違和感を感じました。何に違和感を感じたのかもわかりませんでした。その違和感の正体は何か、調べたいと思いみ言を読み、考えました。

 

わかったことは、我々の行っている伝道が、個人伝道であり、その発想のままでいることに気が付きました。つまり、「長子権復帰をするためのアベル圏の編成が成されていないのではないか?」と思うのです。

 

原理講論をみれば、ヤコブは家庭、モーセは民族のメシアの為の基台を作ったのですが、家庭には家庭、民族には民族、世界には世界というように長子権復帰をするためのカイン圏と同等の天の側の基盤=讒訴条件のないアベル圏の編成が必要です。

 

我々は氏族メシアとして勝利するならば、長子権復帰をするために天の家庭、天の氏族を編成しなければならないのでは?と

 

ただ、氏族圏に出て行って伝道するというだけでは、個人伝道では、氏族メシアの勝利はありえないのです。

 

では、どうしたらアベル圏が編成できるのかを考えてみた時に、ハラン(嘆息圏)につきあたりました。

 

ヤコブはハランで、アベル圏(天の家庭)を編成したことがわかりました。モーセも、ハランに相当する荒野路程40年で、天の民族を編成しました。実践の経験から考えても、嘆息圏は重要であるとわかりました。

 

ヤコブ路程をみ言で確認すると、長子権復帰にはハランでの勝利が不可欠であることがわかります。

 

 

ヤコブはサタン世界であるハランに行って、21年間苦労しながら、家庭と財物を中心に、長子の嗣業を復帰する争いで勝利してカナンの地に帰ってきたのです。」(原理講論P332)

 

ヤコブがハランで21年間の苦役を終えて、天の側の妻子と財物を得てカナンの地に帰って来たとき」(原理講論P333)

 

「天の側の妻子=アベル圏の編成」
「天の側の財物=嘆息圏から解放された万物」

 

ヤコブは故郷を離れてハランの地へと避難し、伯父であるラバンの家で二十一年間受難の僕の生活をしながら苦役を経験するようになります。ヤコブは二十一年間、苦難を克服しながらレアを娶り、ラケルを娶り、財物を得て、祝福された一族を編成しました。ヤコブは甚だしい受難を被りながらも、本郷の地を神様のものに復帰してみせるという一つの思いだけは決して変わらずにもっていたのです。むしろ、自分を殺そうとする兄を自然屈服させ得る一日を待ちわびながら、エサウ以上に自分の実力を養い、基盤を築くことにすべての精誠を傾けました。」(神様の摂理からみた南北統一/エサウヤコブを中心とした摂理)

 

「祝福された一族=アベル圏の編成」
「財物=嘆息圏から解放された万物」
「エソウ以上に自分の実力を養い基盤を築く=エソウと同等の讒訴条件のない天の基盤を築く」

 

「嘆息していた天が勝利できる基盤は、嘆息する群れが絶望しない時に立てられた歴史であったということを、皆さんは知らなければなりません。 ヤコブがそのような絶望の嘆息圏に追われていましたが、嘆息することなく、絶望することもなく、堂々と未来の祝福を信じて進む立場に立ったのです。その結果、第一イスラエル圏が成立したことを知らなければなりません。神様もこれと同じです。神様がどんなに嘆息圏内に染まっていても、その嘆息によって希望を失いはしませんでした。その嘆息によって、創造理想を失いはしませんでした。嘆息が強ければ強いほど、加重されれば加重されるほど、心情と理想を中心として、創造理想を成就させることを誓う内的な決意をしてこられました。ですから、天が行く道は、嘆息圏の渦巻きの中に巻き込まれて回りますが、そこに融合されるのではなく、嘆息圏を踏み、立ち上がり、勝利の日を開拓していくのです。」(牧会者の道/3ヤコブ)

 

嘆息圏で嘆息しないことにより、内的なサタン分立が行われていくため、より内的な決意ができることがわかります。 

 

「二十一年にわたった困難の基盤の上で、初めて神様は彼を祝福することができました。」(牧会者の道/3ヤコブ)

 

「皆さんがよく知っているとおり、ヤコブは祝福を受け、二十一年間、僕の生活をしながら冷遇されました。ラバンの氏族圏内に入っていって氏族の迫害を受けながら二十一年間耐え忍び、氏族の祝福を受けて戻ってくる時、エサウがそこに一つになることによってイスラエル氏族圏が形成されたのです。そうでなかったならば、エサウ氏族圏の前にアベルとしてヤコブが現れることができないというのです。対等な天の氏族圏をもってサタン側の氏族圏の前に出ていって、どちらがもっと耐え忍び、勝ち、どちらがもっとために生き、愛するのかという観点を前にして、サタンと神様の所有権交換が起こったという事実を知らなければなりません。」(宗族的メシアP108)

 

ハラン(嘆息圏)での勝利がなければ、エソウを自然屈服できない(長子権復帰ができない)ことがわかります。 

 

ヤコブは、ハランで神に犠牲として捧げるための何物も持ちませんでした。彼の持ち物は結局、ラバンのものであり、彼自身のものではありませんでした。ヤコブは、エサウから逃げはしましたが、エサウよりももっと外的なエサウであるラバンが現れました。ラバンはいつも、蕩減路程の中で、ヤコブに対する障害物として行動しました。ヤコブはこのような立場を通過しなければならなかったのですが、彼の路程は信仰者が従わなければならない模範路程でした。

 21年間の苦労の路程によって、彼は失われた惨めな2000年を蕩減復帰し、彼自身が堕落前のアダムの基準にまで上がりました。

 ヤボク川での天使との戦いにおいて、ヤコブは霊的肉的両方で苦悩しました。もしヤコブがラバンから骨を折らされる訓練をハランで受けていなかったなら、ヤボク川で天使に勝つことができなかったでしょう。ヤコブは、彼がハランで味わった苦汁の21年間に積もった恨は、天使に打ち勝つことによってのみ解かれることを知っていました。その思いが彼を強くし、天使の前で負けなかったのです。そして、遂に天使に打ち勝ったのです。天使を服従した後にのみ、ヤコブは彼の祝福を彼の両親に分け与えることができました。今やヤコブは、象徴的に神の立場にいる両親に言う立場にありました。『ここにあなたのカイン(エサウ)とアベルヤコブ)は完全に復帰されました。私は、最初にカインとアベルによって失われた全てのものを復帰しました。ここに失われたアダムの家庭をあなたの前に復帰します』と。そうすると、神の恨が、ハランでのヤコブの長い闘争の中で得られた戦勝品によって解かれるのです。彼と彼の妻は、復帰されたアダムとエバの立場で神に捧げられることができました。」ヤコブ路程と私たちの信仰生活の抜粋)

 

ハランでの勝利がなければ、天使との組み打ちに勝利(アダムの位置の復帰)、エソウを自然屈服(アベルの位置の復帰)ができないことがわかります。(長子権復帰)