長子権復帰とみ言の理解の違い

我々食口は、「怨讐を愛する」「主人意識」「アベルカイン」「子女の責任分担」「自然屈服」「再創造」「信仰基台と実体基台」「蕩減復帰」「み言訓読家庭教会」「サタン屈服」「真の愛の復帰」等の原理用語をよく聞いて読んで使います。

 

我々は、これらの内容を、バラバラに理解していることが多いのではないでしょうか。観念的ではなく、より実体的、体系的に理解するためのキーワードが長子権復帰です。

 

長子権復帰(サタンからの主管性の復帰)を追求し、実践していくことにより、これらの内容がつながっていきます。より立体的に理解できるようになってくると思います。

 

例えば、「信仰基台・実体基台」を勝利することにより、長子権復帰が成されます。ヤコブは家庭的メシアのための基台を勝利したのですが、天使とエソウを屈服することにより家庭的な長子権復帰(サタン屈服)をしました。

 

例えば、「蕩減復帰」という概念は、長子権復帰(サタン屈服)という観点がないと、罪の清算、神様の赦しという概念のみで捉えてしまいます。それは間違いではないのですが、キリスト教的な捉え方で終わってしまいます。「堕落性を脱ぐ」そして、「再創造・原理結果主管圏を成長する」という内容につながっていきません。(蕩減復帰は再創造である)

 

キリスト教は霊的救いのみであるので、実体的な長子権復帰(サタン屈服)がよくわからないためです。

 

アベルカイン」についても、長子権復帰という概念がわからないと(アベルカインは長子権復帰そのものであるが)、縦的な関係のみが強調されて、実体基台を造成できなくなり、愛の復帰という関係になっていきません。

 

「カイン圏を自然屈服させる」ことの重要性もわからなくなります。自然屈服でしか長子権が移動しないのですが、長子権復帰がわからないと自然屈服をしなくても良いと思ってしまうからです。

 

長子権復帰をしていくと神様の基盤ができる(神様が働く基盤ができる)のですが、長子権復帰の道を歩まないと、努力しても徒労で、刹那的な歩みになってしまいます。愛の渦が起こらなくなります。定着できなくなってしまいます。

 

長子権復帰について、より深く考え、どうしたら長子権復帰ができるかを追求してくことは、意義のあることで、実践していくことは子女の道であると思っています。

 

上記ことは簡単に説明しましたが、これから詳細にみ言で確認していきながら説明したいと思っています。

 

 

 

 

「主人意識」という言葉をよく使っていても、我々はその心情圏がなかなか理解できません。それは、長子権復帰は「主人意識」=子女の意識でないとできないからです。

また、長子権復帰(サタンから主管性を復帰する)する歩みを通して主人意識になっていくとも考えることができます。

つまり、子女の位置でしか長子権復帰はできないので、サタン屈服を実際にしないと、「主人意識」が観念的で終わってしまいます。

 

また「サタン世界=カイン圏=嘆息圏」を霊的に怖がってしまうのは、「主人意識」になっていないからです。ハランに立ち向かうという重要な長子権復帰の要件がよくわからないためです。

 

長子権復帰を知らないと、これらの事が霊的にわからなくなってしまいます。

 

「怨讐を愛する、怨讐を怨讐視しない」とよく言いますが、怨讐が迫ってくる時は原理的にどういう意味があるのか、怨讐に対する姿勢とは、怨讐とは誰か、怨讐を愛することにより何が勝利されるのか、その結果どうなるのか、ということは長子権復帰(サタン屈服)、特にヤコブ路程を理解しないとよくわかりません。

 

「不信仰」という言葉をよく使いますが、精誠、条件的なもの(祈祷・献金・礼拝)のみの判断に使われることが多いです。そのことも大変重要ですが、長子権復帰(サタン屈服)をしないことも、とても不信仰であると捉えることが重要であると思います。

 

「真の愛の復帰」という言葉をよく使いますが、サタンを屈服(長子権復帰)しなければ、愛は復帰できないので、心情的にも復活しない状況になってしまいます。人間的に愛の復帰を捉えがちです。

 

「7月7日に本当の子女の責任分担時代に大転換された」といわれています。長子権復帰を理解しなければ子女の責任分担を理解することができません。子女の責任分担とは、我々子女がサタン屈服していくことにより、本当の息子・娘になっていく(家庭を完成する)、天国を創建する摂理であるからです。

 

人類歴史も長子権復帰という観点で捉える必要がありますし、宗教も長子権復帰という観点で捉えるとよく理解できます。(人間がサタンを屈服してきた度合いにより、人間の協助としての善の宗教(善の天使長圏)ができたので)

 

我々の、二世が打たれている理由を考えるのも長子権復帰という観点が必要になります。

長子権復帰という観点がないと、この世的(人間的)理由でしか考えられなくなります。

我々が子女の責任分担におけるサタン屈服がなされていないために、サタンから主管されてしまうのです。

イスラエル民族(二世)がカナン七族の風習に負けて主管され、同化してしまったことと同じ現象が起きています。

 

本来イスラエル民族はカイン圏であるカナン七族から長子権を復帰し、神様の基盤をカナンで定着しなければなりませんでしたが、逆にカナン七族の価値観や外的な内容(金、権威、アダムエバ)に負けてしまい、主管されてしまいました(カイン圏に主管されてしまった)。長子権を復帰できなかった=不信仰のため定着できませんでした。

 

人間の責任分担を理解するにも長子権復帰という内容は避けて通れません。メシアの責任分担は、アダムとエバができなかった人間の責任分担を完全に蕩減復帰して、本然のアダムとエバの位置に立ち、天国を完成することであるので、御父母様はサタン屈服の道を歩まれました。長子権復帰、父母権復帰、王権復帰をされたのです。

 

長子権復帰を理解しないと御父母様の歩まれた価値がわからなくなります。

 

我々は神様と御父母様からの恩寵のみで救われると錯覚してしまいます。

つまり、神様の恩寵だけではなく、我々が実体で子女としてサタン屈服をしていくことにより、実子圏に入っていくということを忘れてしまいます。

ですから、子女の責任分担である「家庭教会」の重要性がわからなくなってしまいます。

本来家庭教会でしか、我々子女は家庭的レベルでの長子権復帰、氏族的レベルでの長子権復帰ができないように摂理的にもなっているからです。

 

このように、長子権復帰の原理をしっかり知っておくことが必要であると思います。

私もまだよくわからない事が多くありますが、このブログを通して考え、また皆さんから教えて頂きたいと考えております。
よろしくお願い致します。